NHK朝の連続ドラマ「なつぞら」をのんびりとビデオに撮ってみており、本日は115~118回を視聴しました。
ドラマも佳境に入りなっちゃんの物語というか、時代背景を色濃く投影し、非常にメッセージ性の強い物語となっています。
そんな中、118回はとんでもない話に結構ちまたでも話題になっていたようですね。
簡単に書くと、戦争孤児である少年時代の咲太郎を亜矢美が引き取り、結婚するまでに育て上げたのだが、その後突如失踪してしまう。
亜矢美をよく知るカスミはその真相を咲太郎に告げるのだが、それがあまりに衝撃的内容だった。
実は亜矢美は咲太郎を男としてみていて、結婚してしまった咲太郎にその嫉妬心を見せまいと、母として咲太郎の中に残るために消えたというのだった。
世の中では感動ストーリーに水を差す気持ちの悪い演出とかなりの批判を受けている模様で、その感情もわからないでもない。
実はこの落ちには結構くだりがあって、ここに来るまでにそれを匂わす言葉があったのだが、私も含め全視聴者がそこはぼかすのか、それとも否定してくれるのかを祈ったが、その通りの結末となった。
ただ、このシーンというかこの設定、実はよくできている。
食べ物もろくにない戦後間もない時期に、自分の子でもない少年を何故善意だけで拾って育てられるのか。そんなことはあり得ないのである。
ただし亜矢美も別に変態というわけではなく、はじめは恋人を失った心の隙間を子育てごっこで埋めようとしたんだと思う。実際に子育てのシーンでは童話を読ませて世の中を知れという明らかに子育ての仕方を知らないという節を感じさせるシーンがあった。
しかしやがて大人になっていくうちに咲太郎は出会う女性が全て恋に落ちるほどの好青年になった。ダメだと思っていてもやはり亜矢美も恋に落ちてしまった。でもだからこそ、問題ばかりを起こす大人になった咲太郎を支えれたんだと思う。
なつぞらは朝ドラにしては結構理屈っぽく、夢で全てを終わらせない節がある。今回の咲太郎の件も結局夢物語で咲太郎がラッキーだったわけではなく、その容姿があってこそ今日まで生きてこれたというちゃんとした理由付けになった。
それは必要以上に恋に皆落ちてしまう咲太郎の周りの女性たちがいる時点で、この落ちへの実は布石になっていたということ。
なつも幸せそうに見えて、実は過酷な労働の末に色々な物を得ている。その点咲太郎は結構ここまでラッキー続きであったが、実はそのバックにはちゃんと意味があったということで、それは親子愛という禁断のエリアに達するほどのデメリット部分を持ってして初めてイコールになる。
こうなると、なつしかり、咲太郎しかり、身分を隠して結婚し血縁を捨てた千遥しかり、なつの兄弟は生きてこそいるが、皆戦後も沢山の苦労を背負って生きていることになる。でもそこにはちゃんと幸せもあるのだが、何ともあっけらかんとは笑えない運命で、でもそんな中で幸せを見つけ生きていくというとても哲学的な物語なんです。