「ちゃんと昼ご飯を食べれたら点滴外しますよ」と言われたので、もがきながら昼食を完食し、無事点滴もはずれ一歩進んだお昼でしたが、その夜。
ここまでずっとご飯を拒否してきた私。点滴の一件で何とか昼食を食べました。その時、当然ですが自分的に点滴を外したい思いで食べましたが、昼食を食べきったというのを家族がとても喜んでくれたのは凄く励みになりました。
手術当日、次の日もずっと家族が来てくれて、私が掃き出だす汚物を嫌な顔一つせず奇麗に洗ってくれて水を補充をしてくれたりすっとお手伝いをしてくれました。
その中でずっと食べ物は食べない、飲まない、顔は憔悴しきっていく中、私がご飯をたべたという事は皆への恩返しになった感じがしました。
だから私は夜ご飯も一生懸命食べようと決めていました。
固いものは当然だめですが、柔らそうなものを選んで食べようと手を出したのが、ナスのおしたしでした。
油通しをしたふにゃふにゃの食べ物。大丈夫だろうと食べたらやっぱり柔らかくて「あ、大丈夫だ」と思い、飲み込んだ瞬間。
喉に激痛がはしりました。
少し辛みがついていたのかな?そんな軽い感じで嫁にも「あ、からいわ・・」といってお茶を飲めど飲めど、どんどん痛みは大きくなって辛抱たまらなくなって、ナースコール。
本当に針で喉をつつかれたような痛みが一向にひかないのです。
看護師さんが氷水を持ってきてくれてそれを飲み続けたら30分ほどしてようやく痛みが取れました。
少し話はそれますが、実はこの日まで一つのもやもやがありました。
それは食事です。
実は手術当日の夜に五分粥よりも軟かそうな粥が出ました。これは当然喉を切る手術の後なので、こんなものしか喉を通らないのでこういったものが出るのは当たり前なのですが、私はそれでもご飯は食べれませんでした。
そして驚くべきは次の日。
何と朝食に普通のパンが出てきました・・・。
実は扁桃腺摘出手術の後に食べてはいけないご飯リストにパンがあります。
それはパンの表面の薄皮が喉にくっつくからです。これは主治医の先生からも言われていたのに、何故かまだモノも喉を通らない状態の時に、そのパンが出され。しかもおかずに普通の固形物が出ました。
それは昼も同じで、普通の固形物のご飯が出ました。
私は「おかしいな・・・」と思いながらも、そもそも食べる気がなかったのでスルーしていましたが、これに気付いた母親が看護師んさんにそれを伝えるも、夜、また普通に固形物のご飯が出ました。
実は家族は昔に扁桃腺摘出手術を受けているのですが、「普通は5日位は水粥やで」ということでした。
この時点ですこし不信感を感じていた中起こったこの喉の痛みを訴える事例。さすがに不信感が爆発してしまいました。
それでなくても精神的にかなり参っているこの状態で、一生懸命食べ物にまさか刺激物が入っているとはつゆ知らず、そもそもまだ固形なんて無理だし、ちょっとどうなっているのかな?と夜でしたが先生とお話させてもらいました。
【IgA腎症末期患者の闘病記:19】IgA腎症治療の為の扁桃腺摘出手術を行う【4日目】自宅療養が始まる