家族が狭い個室に集まりました。まだまだ病気の意味が分かっていない家族。
何と先生がもう一度来てくれて全部を一から話してくれました。
部屋はなんとなくよどんだ感じ。
普通ならちょっとは涙なんて出るんでしょうが、ここはうちの家族の強いところで、口に出る言葉は前向きな事ばっかり。
確かに良い状況だけではないけど、このままわからなかったら本当に大変なことになっていたやん。だからそういった意味では、ここまで病院嫌いなお前を病院に足を向かわせたのはご先祖様かもしれんな。
しんどいけどゲームオーバーではなく頑張りようによっては色々可能性も残っている。
そもそも今日までのぐーたらな不摂生な生活をしていたらきっとこの病気になっていなくても必ず別の重篤な病気になっていたはず。だから今を最悪と捉えるよりも、むしろ逆に最善と捉えるほうが当たっているかも。
そんな父親の言葉は結構刺さりました。
それは確かにあっています。食べることが好きで、塩辛い物が特に好きな私。この病気になっていなければ、もっともっと食べまくったでしょうし、そうなればもっともっと危険な事になっていたことは容易に想像ができます。
色々な言葉をもらい元気をもらって、皆も帰宅し独りぼっち・・・。
やっぱり一人になると涙がポロポロ流れては乾いて、また出るのでした・・・。
死について考え、恐怖する夜でした。
次の日、栄養士さんと話をしました。
全く頭に入ってきませんでしたが、こんな決め事がなされました。
腎臓が悪くなる病気プラス、現在とっても腎臓が痛んでいるので腎臓をいたわる食事にしていきましょうという事。つまり世でいうところの「食事制限の開始」です。
この人生、酒もギャンブルもしない私は、食べることに至福を覚えてきました。
ついにそれを奪われる日が来ました。そう感じました。
しかし、それよりも今は絶望が頭を埋めていたので、反発心というのはありませんでした。
そもそも一回目の病院の検査結果後からほんの少しですが、そういったものに心の舵は切り始めていたので、まだましでした。
1日に摂取出来る栄養制限は以下の感じ。
タンパク:35-45mg
塩分 :6g
です。
容態がひどくなるとこれにカリウム制限が出てきますが、まだ今の私にはその制限支持は出ていません。
それでもなかなかの摂取制限となっています。
この数字を見て色々絶望感も感じたりもしました。
先ほど書いたように話を聞いている当時は茫然自失でしたが、部屋に戻り安静期間入院をしながらのんびりと考えたり、死を考えたり、落ち込んだり、涙する中、私の中で何かが変わり始めていました。
「このIgA腎症という強敵の病気と、がっぷり四つで戦ってやろうと」
【IgA腎症末期患者の闘病記:7】IgA腎症末期とわかるまでの最後のサイン