大阪のしがないおじいさんの日々のブログ

大阪のおじいさんの老後ブログ

映画

JOKERを見ての感想レビュー

投稿日:

JOKERの感想レビュー

以前から気になっていたJOKERをようやくTSUTAYAで借りて本日のんびり見ましたので簡単なレビューを書きます。

バットマンシリーズはアニメ版やらアニメの映画版、そしてジャックニコルソンの実写版からある程度見ているのですが、ジョーカーの事って意外と語られないんですよね。
たまに親身に話し出したと思ったら大体はバットマンが「あれ?お前以前はこう言ってなかったか?」となって、ジョーカーも「いひひひ!そうだったかな?」なんてのがオチで結局またもや素性がわからない、という感じでした。

で、ファンからするとようやくその本筋がわかるのか!ということで期待の大きな作品でした。
物語はネタバレになるので見る予定の人はココからは読まないでください。
ながーーーく本筋書いていきます。

 

貧富の差が日に日に激しくなる中、ジョーカーである本名アーサーもそれも漏れずに足が悪い母親を介護しながらの苦しい生活を送っていました。
アーサーは突如笑いが止まらなくなるなどの精神障害を患っていましたが、生計を立てるために道化師として人を笑顔にする仕事に従事していました。
しかしその仕事も楽な物ではなく、仕事中にも暴力を受けるなど辛い日々を送ります。

ある日街角で宣伝のためにピエロの格好で来客を募っていた時に若者から暴行を受け、怪我をしたアーサーを見た仕事仲間から護身用にピストルを譲り受けますが、不幸にも病院での仕事中にそのピストルを床に落としてしまい仕事を突如クビにされます。
更にピストルを渡した友人も自分の保身のために上司に嘘の証言をし、アーサーを更に失望させるのでした。

 

そんな失望の帰り道、電車内で泥酔したエリートサラリーマンの3人組に悪態をつかれたあげく暴力を振るわれたアーサーは遂にピストルの引き金を引き3人を惨殺してしまいます。
ピエロの格好をしていたこともありすぐには足はつかず、その日暮らしを続けます。

アーサーは道化の仕事をこなしながらも実は子供のころからコメディアンを夢見ていました。小さな町の酒場で少しだけ舞台を経験するなど頑張っていましたが、結果は残念ながらいつも笑いをとることはできませんでした。

ある日、アーサーが最も敬愛する司会者が出演しているテレビ番組に自分の舞台の映像が流れ感動するのでしたが、尊敬していた番組の司会者にその受けない様子をいびられてしまい更に彼の心は塞ぎこまれていきます。

 

そんな矢先、母親がいつも手紙を出すのに返事がないと嘆くその手紙の中身を見てしまいます。
そこにはその街の大富豪であるウェインと母親が愛人関係にあり、アーサーは二人の隠し子であるつてが書かれていました。

激高したアーサーはウェインに真実を聞きに行くが誰しもが「それは嘘で、母親がおかしい」と追い返される。
屈辱的になりながらも昔母親が入院したという病院のカルテを盗み出したが、そこに記載されてあった内容は皆が言う通りの酷い母親の歴史でした。
そしてその刃は自分にも向けられていたことを知ったアーサーはついに自分の母親に手をかけてしまう。

信じていた全てを失うどころか裏切られ、遂にアーサーの心のよりどころであった全ての柱を失ってしまう。

 

皆を幸せにするために笑顔を振りまき、気を使い、自分を殺してきた自分が得たものは全て自分を攻撃するものだった、だったらもうそんな仮面は必要がない、自分らしく自分であればいい、そうやってアーサーはジョーカーとして生まれ変わる?というか真実の自分に目覚め始めます。

少しはしょりましたが、大体こんな感じです。

 

今までのアメコミ映画とは完全に一線を介す異端映画で、アメコミ映画というよりはヒューマンドラマに近く、その中でバットマンファンを満足させる作品になっています。
逆にバットマンを少しは知らないと楽しめないと思います。

そして普通のヒューマンドラマではありますが、結構トリック的な要素も多く含めてあり、ファンであれば3度は見ると思います。
映画見た後にご飯をすると必ず「いや!俺はこう思う!」と話は盛り上がるはずです。

 

個人的に好きだったシーンはいくつかありますが、一番はここ。
貧富差別の暴動が激化し、満員電車の中は抗議活動の象徴であるピエロのマスクの人で溢れかえります。アーサーも刑事に追われ電車に逃げ込むのですが、ピエロの化粧をしていてアーサーはそこでは居場所がわかりにくくなります。
やがてそんな中でも刑事に見つかりそうになった時に近くの人のピエロの仮面を奪い自分に付けます。
電車が駅に到着し逃げていく中、アーサーはピエロのマスクをごみ箱に捨てます。
しかし、当然ながら、マスクの下もピエロなのです。

普通の街中でピエロの化粧で歩いていればそれはそれは目立ちますが、ピエロのマスクの行列の中ではピエロの化粧は浮きません。しかしそれはあくまでマスクをかぶったピエロ。アーサーはマスクを脱いだ下も道化なのです。

この辺りが結構ミソで、アーサーも映画後半で相談係に「自分がどこにいるのかわからない」という節の事を話します。
上記したように、アーサーは自分自身の今日までの振る舞いは皆のため、と自分に言い聞かせていましたが、ではそれをはぎ取った時にそこにいる自分は本当なのか?という問いに問題はぶち当たります。

本人はこれこそ本当の自分と言っていますが、上記した通り、ピエロのマスクの下の自分もピエロという表現が色々な事を物語っていると感じました。

エリート3人を撃ち殺したことはあくまで自分への誹謗中傷や暴力から行った行為で、世の中の富豪者への反発という意図ではなかったが、貧しい国民たちはあるときからアーサーを神格化し始めます。ラストシーンでも逮捕されたアーサーを国民が助け皆が拝み始めますが、そこでのアーサーの立ち振る舞いは、よくある狂気のジョーカー像ではなく、自分の意図ではないが勝手に象徴化された中で、またもやピエロを演じる自分という様子を表現していました。

こうした国民の自分都合な正義と悪の間で道化を演じ、その波に乗っているかのように見せながら、映画序盤で突如涙を流すアーサーのように、かれは道化の化粧の下で泣きながらピエロ演じ、やがて今後アニメのようにまた都合の悪い部分では悪役にされるううちに、彼は皆が知るジョーカーになっていったのかもしれませんね。非常に奥が深いです。
確かにこう見れば悪にも善にもつかない自分しか見ないジョーカーという人物が出来上がるに理由には持って来いのストーリーと言えます。

そして恐ろしいのがラストシーンです。
実は上記説明では省きましたが、アーサーは親の虐待から身を守る為か妄想癖が強くあり、映画にもあのシーンは実は全て妄想だった、というストーリー展開があるのですが、実はラストシーン。いきなり場面が変わり、精神鑑別所で話をするアーサーの場面になります。

そして相談員と話をしている中で「最高のジョークをおもいついた」と言うのですが「きっと君には理解できない」と内容は言いませんでした。
実は映画の中盤で、昔アーサーが精神鑑別所に入れられているという感じのシーンがほんの一瞬だけ映るのですが、実はひょっとして、映画全てがアーサーの妄想だった、可能性があります。

つまり、時間はその一瞬映った精神鑑別所のシーンの時代から進んでおらず、全てこの狂ってしまった自分自身を国民が崇拝するというドラマをなりたてる、つまりは自分の存在意義を美化する、正当化するための創造、つまりは2時間かけてのアーサーのジョークだった、という見方も出来るのです。

そうなると話はどうなるか。
とっても怖いのですが、世の中にいるジョーカーはアーサーではなく、同じ可能性を持った沢山のジョーカーが存在しうる、という監督からの怖いメッセージだったようにも感じ取れ、背中がぞわっとします。

 

上記したように、結構この映画、分かりやす感じにみえるのですが、裏テーマが見え隠れするのでこのあたりも話題になった要因、上記したようにもう一度見直したいと思わせる映画なんだなと感じました。

暴力シーン、殺人シーンは描写をそらしたりせずに全て見せるので心の弱い方は絶対に見ないでください。普通のシーンでも見る人を追い込むようなしんどい曲調の音楽が流れるなど結構気分を害する方もおられるともいます。

ただ、作品としては非常に面白いので、まだ見ていない方はこれらを踏まえて見てもらうとより面白いかもしれません。
よろしかったらどうぞ。でも事前にせめて映画版のバットマンくらいは全部見てから見ることをお勧めします。



-映画

Copyright© 大阪のおじいさんの老後ブログ , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.